愛輪会の歴史


第1期卒業生 谷 則夫

OB会開催記憶

 OB会が開催され、話す機会が与えられる度にOB会設立の経緯は話して来たつもりでしたが、なにせ、懇親会前の「早く飲みたい」あるいは「すでにできあがってしまった」後の話だから、恐らく皆さんの記憶には残っていないと思われます。今回、サイクリング部OB会ホームページ立ち上げに際して、OB会長の石川さんより要請をいただいた事もあり、私の記憶を整理し、公開する事としました。私も転勤族として東京方面にいた時代はOB会をご無礼した年も多く、ぜひ皆さんの記憶・資料を発掘していただいて、この「開催記憶」が「開催記録」となるようご協力をお願いいたします。


********************************************
★なぜ、現役部員によるOB会が主催され続けていた時代があったのか?

昭和50年、サイクリング部(当時は同好会)初の卒業生が誕生する事になりました。 そして、卒業に際しては「OB会をやろう」「開催時期は社会人として慣れたであろう半年後」 「OBだけ集まっても、たかだか5人じゃおもしろくないから在校生と一緒にやろう」 「ついては、OBはバラバラになってしまうのだから、在校生が幹事となって開催してほしい」 てなお願いを託して我々は巣立っていきました。
********************************************

■1975年 第1回(昭和50年)
在校生が年間クラブの活動も終えた11月、小池あたりで開催されました。新入部員は全員男子で5~6名、ちょっと華やかさに欠けたが、スポーツクラブとしての期待が感じられました。

■1976年 第2回(昭和51年)
やはり小池あたりだったと思うが、昨年と一変して大量の部員が入部し、女子部員も多く大変にぎやかなOB会だった事を記憶しています。

■1977年 第3回(昭和52年)
同じ東京方面とはいえ、ハードな職場へ転勤となり、以降ご無礼が続く。

■1978年 第4回(昭和53年)

■1979年 第5回(昭和54年)

■1980年 第6回(昭和55年)
半田へ転勤となったが初めての事務職、しかも不慣れな経理にすっかり落ち込んでいた時期で、出席したかどうか記憶に無い。

■1981年 第7回(昭和56年)
再度東京方面へ転勤。

■1982年 第8回(昭和57年)
茨城へ転勤。

■1983年 第9回(昭和58年)
豊橋駅西口の壷屋。再度半田に転勤しており出席。共に過ごした仲間が顔を出しており、楽しいひと時であった。

■1984年 第10回(昭和59年)
西口のガス ビル「サーラ」ほんの少し遅れて開催挨拶中の会場に飛び込んだらスーツ姿の若者集団に圧倒。てっきり会場を間違えたものと思い込み、一旦会場を抜ける。(OBに失礼の無いようにとスーツ着用を義務付けられていたらしい)そのくせ、OBはラフな格好とりあえず、見分けがついて都合が良かったことは確かだった。しかし、同期はおろか、一緒に活動した連中の顔も激減、OB会で初めて知り合ったOBが顔見知りという時代の始まりであった(本当は第1回OB会の時の新入部員だったんだが・・・)

■1985年 第11回(昭和60年)
ガス ビル「サーラ」現役背広・OBは私服というスタイルにも慣れた。この時の挨拶の中で「いづれOB会に皆さんをタダで招待します」と発言したような気がする。来週一緒に走りませんかとのお誘いに54年卒の奥村さんと参加。寒かったので昼の鰻屋で日本酒1本注文したのを当時2年生だった60年卒の石崎さんに今でも指摘される始末・・・・当時、まだまだ20代の体力はあると思っていたが、私好みのポッチャリした女性部員に峠の終盤で置いてゆかれ、ついにビリ。こんな峠を女性が元気に登ってゆくまでに成長したクラブに感激。(いや、自分の体力が落ちている事も原因だとは信じたくもなかったのかも知れない)

■1986年 第12回(昭和61年)
11/29の土曜出勤日・・・決算棚卸でとても出席できる状態ではなくご無礼。来年もあるさという気持ちもあり、2次会に遅れてでもという気にもならず。

■1987年 第13回(昭和62年)
再度東京方面に転勤につきご無礼。以降7年程のご無礼が続く。

■1988年 第14回(昭和63年)

■1989年 第15回(平成1年)

■1990年 第16回(平成2年)

■1991年 第17回(平成3年)

■1992年 第18回(平成4年)

■1993年 第19回(平成5年)

■1994年 第20回(平成6年)
ガス ビル「サーラ」。久々のOB会は、先ず、その在校生との年齢差にビックリ。そして在校生、OBの人数の少なさにビックリ、在校生の中にも欠席者がいるとの話に3度ビックリ「顔見知りのOBも少ないだろう」と覚悟はしてきたものの、昭和50年代卒は私だけ、かろうじて60年代1名(御免!名前は忘れた)そして平成1年の小林さん、後は卒業して間もない世代のOBが少し。その若いOBと在校生で盛り上がる中に、場違いのオヤジが一人。

■1995年 第21回(平成7年)
ガス ビル「サーラ」。昨年の会場隣のさらに狭くなった部屋。そしてそれに相応しいだけの参加人数。ついに昭和の年代は私1一人、そして平成(いや、無理して昭和64年卒)の小林さん。昨年知り合った平成4年の神谷さん・鋤柄さん他若いOB数人という寂しさ。新入部員も少なく、部の存続すら危うく感じられた。サイクリング部はなくなり、OB会だけが残ったなどという図式もチラついて来る。

********************************************
★なぜOB会をOBの手で運営するようになったのか?

あまりの出席者の少なさに、返信状況を見せてもらったら、欠席だらけ、そして返信すら来ない人も かなりの数。宛名不明も多く、名簿の更新は出来ていなかった。聞けば昨年の「ケッタ」名簿に卒業生 を加えているだけの名簿を活用していたのである。これをヅーと受け継いで来たらしい。 そしてOB会開催に伴う通信費等は大学祭の売上から捻出しているとの事であった。私が卒業した頃 のような、出席者の会費の中から通信費等を賄える規模では無くなっていたのだ。 さらに、OB会開催案内時にOB会費と称した「ケッタ」の販売も、(私も東京時代に立ち切れたように) 希望者はごく僅かで、OB会は在校生の負担の上で成り立っていた事を知らされた瞬間であった。 これでは、見ず知らずのOBがノコノコ顔を出しても歓迎される筈が無い。 そこで、私が勤めている会社の前が、53年卒柴田さんの自宅という地の利を生かし、昨年より温め始めた「OBの手によるOB会」実現に向け、彼を巻き込んで動き出したのであった。
********************************************

■1996年 第22回(平成8年) 
豊橋勤労福祉会館。初のOBによるOB会を実現 OB70名、在校生25名という堂々たる会合となった。前準備に随分時間を掛けたつもりであったが、なにせ初めての事でしかも大人数という事もあり、行き違いによる不手際が合った事はお詫びしたい。また、個人的にもせっかく久しぶりに会えた昔の仲間に対して、会の進行や、見知らぬOBとの顔つなぎに奔走し旧交を温めている暇がなかった事もお詫びしたい。

■1997年 第23回(平成9年)
ホテル白豊。昨年が大人数だっただけに、まあ、半分位かと思いきや25名弱それでも、今から思えば、贅沢な期待であった。

■1998年 第24回(平成10年)
ホテル白豊。さらに減って20名位。会場費の安い場所選びが必要となる。

■1999年 第25回(平成11年)
58年卒の中内さんのつてで学内生協食堂で開催。「せっかく豊橋まで出て来るなら、学内で」というニーズを掴めるかという企画であったが、10名を切り、参加者は役員+αという結果に終わった。

■2000年 第26回(平成12年)
学内生協食堂。4年に1度の総会という事で顧問の先生にも出席を賜る。しかし、総会とはいえ、20名レベル。めずらしく遠方から出て来たOBに声を掛けたら「同期と集まる約束になっていますのでそれまでの時間つぶしで・・・」と言われショック!人数も少ないから宴会中とはいえ討議の場にもなり在校生に対して「あなたがOBになったらこの会に出席しますか」との問いかけに、「判りません」という本音の返事に再度ショック!バブル崩壊後に卒業したOBの組織率の低さを裏付ける発言であった。

■2001年 第27回(平成13年)
部室。「ぜひ、青春時代を過ごした部室も見たい」というニーズに期待したが、OBの家族まで参加して20数名。在校生全員呼べない、入らないから、主要な代表者だけ。

■2002年 第28回(平成14年)
学生会館。参加OB10名切ったが、少ないからじっくり話し合える初めてお会いした56年卒の高柴さんより「顧問の教授」と間違われてしまう年齢となっていた。そして、この年、私の長男と同じ年生まれが新入部員として加わっていた・・・・(OB出席者7名)

■2003年 第29回(平成15年)
学生会館。役員も変われば、それにつれて新たな顔ぶれにも会える。56年卒尾崎さんもまさにその1人。卒業して初めてOB会に出席されたらしいが、年代こそ違うもものの、同じサイクリング部で汗を流した時期があったというだけで、初対面の壁をあっさり乗り越え初対面からまるで旧友のように話し合えのもOB会の良さである。(OB出席者17名)

■2004年 第30回(平成16年)
それまでの学館練習室から急遽学内食堂カフエテリアベルへ。4年に1度の定期大会であったが、25名を切った。以降ここで3時から総会、3時半~5時半懇親会、6時~駅前で二次会。8時~日本酒が並ぶお店で3次会というパターンが暫く続く。(OB出席者22名)

********************************************
★そして感謝

入学した当時にはサイクリングが無かった為、既存の他のクラブに所属していた時期もあったが、 無いなら自分たちで作ってしまえと、当時のバイコロジブーム(バイスクールとエコロジーの合成語) の追い風を受けて設立したのであった。 愛好会から出発したサイクリングには補助金も部室も無く、会合は哲学の森や空き教室を見つけて 行っており、先輩たちが築いた地盤を当たり前のように享受して活動しているクラブが羨ましくもあった。それから30年。活動は連綿と引き継がれ、今や、当時羨ましく思った他のクラブと引けを取らないまで の歴史を積み、かつ成長して来た。 そしてOB会もクラブに遅れる事2年で同様に続いている。 特筆すべきはサイクリングOB会が1度も欠かす事無く毎年続いて来た事である。 この連続記録は、サイクリング部よりも歴史のある他のクラブでもありえないのでは無いだろうか? 「先輩たちがサイクリング部を作ってくれたお陰で今の我々があるんです」と言ってもらえる事もあるが 逆に私からすれば「皆さんが連綿と引き継ぎいで来てくれたからこそ、今もクラブがあり、部室にも 訪れることができ、そしてOB会もこうして毎年開かれているんですよ」とこちらのほうが感謝したい位の 気持ちである。 在校生がOB会を開催してきてくれた事が長続きした秘訣だと思われるが、もう、これだけ続いてしまう と、続ける事にも意義が出てくるような気がする。1度でも中断すれば、後はどんどんと後退してしまい、 再度立ち上げる時の苦労は並大抵のものでは無いのではないだろうか。 その為にも、そして「今はOB会に縁が無くても、いつか昔を振り返りたい年になった時」でも、暖かく 迎えられるよう存続し、開催し続けてゆきたいと思う。
********************************************

■2005年 第31回(平成17年)
58年卒組役員による開催が始まる。出席予定者はOBだけで18名。

■2006年 第32回(平成18年)
予定者27名という事になっているが、欠席はもちろんの事、二次会から参加というメンバーも含めての数字である。

■2007年 第33回(平成19年)
54年卒業の青木が参加した最後のOB会となった。(OB出席者25名+二次会からの出席者4名)

■2008年 第34回(平成20年)
58年卒組の役員最後の開催。

■2009年 第35回(平成21年)
いよいよ平成年度卒組役員による開催が始まる

■2010年 第36回(平成22年)
2011/1に「おでんしゃ」日曜日に貸切で実施。枚方単身赴任中につき1次会でご無礼。

■2011年 第37回(平成23年)
OB会の歴史の中で、初めて開催出来ず中断となる。

■2012年 第38回(平成24年)
昨年に引き続き、2年連続でOB会を開催出来ず。

■2013年 第39回(平成25年)
6月29日に高柴くん主催で名古屋の居酒屋にて夏のOB飲み会開催。二次会もカラオケで盛り上げる。

■2014年 第40回(平成26年)
8月30日に新愛輪会開催予定(7月24日現在)